日本は肩書き社会だといわれています。その人を評価する際にはどんな人か、どんな性格をしているかではなく、どんな肩書きをしているかで評価されるのです。しかもその肩書きも本人の能力や実績を評価するよりも、企業や団体などその身分を保証しているかどうかが重視される傾向があります。「有名企業でいいポストについているんだからさぞかし有能に違いない、立派な人に違いない」というわけです。ですから同じ仕事をなしとげても、フリーの人と有名企業の社員ではその後の評価や扱いにも大きな差が出てくるわけです。
簡単に言えば社会的信用が重視されるってことですよね。企業や団体に認められているということはそれだけのその人を証明・保証するバックボーンがある、つまり強い信用を持っているというわけです。これは個人ではどうしようもない部分もあります。たとえば有名な芸術家がクレジットカード1枚持つのに苦労させられる一方で、大学を出たばかりの何の実績もない新社会人が簡単にクレジットカードを持つことができるのも企業が身分を保証しているからです。会社を通して社会とつながっているかどうか、社会性が問われるといってもいいかもしれません。
わたしが前に勤めていた会社を退職する際に不安になったことのひとつがこの問題でした。会社を辞めてから次の仕事を見つけるまでは無職の状態になります。働く気がなくて遊び歩いている人も、やむを得ず仕事を失った人も肩書き上は同じ無職として扱われてしまうわけで、そうなると社会から厳しい扱いを受けてしまうようになるのです。たとえば飲み会などに参加することになったとき、「前に○○の会社に働いていました」と「今○○の会社で働いています」では受け取る側の印象にも大きな違いがあります。前者は「今は何をやっているのかわからない」というイメージがどうしても付きまといます。個人的な付き合いでもそうなのですから、社会とのつながりではなおのこと、極端な話社会とのつながりが切れてしまい、社会性が失われてしまう状態になってしまいます。
先ほども触れたようにクレジットカード1枚作るのも一苦労、さらに借金もなかなかできません。なかなか転職先が決まらず生計が厳しくなってきてもお金を調達する手段が見つからず、やむを得ず金利の高い消費者金融に手を出してしまう…なんてパターンも考えられます。無職になることで収入が断たれるだけでなく、お金を調達する手段すら失われてしまうなんて怖い話ですよね。
わたしは3ヵ月ほどの失業期間で済んだのでこうしたデメリットはそれほどありませんでしたが、半年、さらに1年にも及ぶとさまざまな面で問題が出てくるでしょう。